花の元禄の
「御畳奉行」の日記

数ある幕府の役職の中で「御畳奉行(おたたみぶぎょう)」と言う物もありました。 元禄時代頃から一般にも畳の需要が急増してきたために設けられた役職で、幕府の土木建築の仕事をする作事奉行の配下にあり、 城内の畳作りや畳替えなどの役目をしていました。『御畳奉行日記』(中公新書740)は、 この役職が設置されて4年目の元禄13年に御畳奉行に就任した、尾張徳川の家中の朝日文左衛門重章が26年以上にわたって書き綴った日記 『鸚鵡篭中記』です。ところが文左衛門先生、花の元禄歌絵巻で仕事の事にはほとんど触れず、もっぱら世相や世の中のさまざまな事件、 幕府への批判があるかと思えば、博奕(ばくち)の情報があるといったたいへんな代物。この執念とも言うべき日記には、 花の元禄の裏側が生き生きと描かれています。


町の大きさから決めた畳のサイズ

畳のサイズに京間と言うのがあります。これは畳の中では一番大きい寸法ですが、ではこの寸法はいつどうやって決められたのでしょう? 延暦13年(794年)京都から平安京に遷都された時、平安京の町を正方形に均等に区分し、その一区画の一変を36帖、 それに道幅の4帖を加えて40帖にしました。これを6等分したものから柱の太さ4寸を引いたのが京間の6尺3寸となったのです。

前の話へ
TOPへ戻る
Copyright(c),
2001
南勇次郎商店